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2011/12/10

コメント

名無し

橋脚が流れを妨げるので、上流の水位を上げるのが心配です。

この工事の入札の落札率に異常は見当たらなかったのでしょうか。

参考

「在の倉敷平野部では、高梁川の洪水に幾度も悩まされたため、度々河川の改修・治水工事が行われた。その後、1907年(明治40年)から始まった改修で東西の分岐点が、古地から現在の倉敷市酒津で東西に分岐するように変更され、東高梁川(東松山川)、西高梁川(西松山川)となった。旧分岐点から新しい西流(西高梁川)までの流路は柳井原貯水池となり現在に至る。[2]

さらにその後の改修により、酒津分岐の東高梁川は廃川となり、1925年(大正14年)に明治期から続いた大改修工事は完成し、西高梁川が本流となり、現在に至っている。旧河口部には水島市街地、旧堤防には水島臨海鉄道水島本線や八間川用水などが造成された。[2][1]」
高梁川 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A2%81%E5%B7%9D#.E8.BF.91.E4.B8.96.E3.80.9C.E7.8F.BE.E4.BB.A3.EF.BC.88.E9.85.92.E6.B4.A5.E5.88.86.E5.B2.90.EF.BC.89

参考(訂正版)

「近世〜現代(酒津分岐)

東高梁川廃川地に掘削された八間川用水(倉敷市)

現在の倉敷平野部では、高梁川の洪水に幾度も悩まされたため、度々河川の改修・治水工事が行われた。その後、1907年(明治40年)から始まった改修で東西の分岐点が、古地から現在の倉敷市酒津で東西に分岐するように変更され、東高梁川(東松山川)、西高梁川(西松山川)となった。旧分岐点から新しい西流(西高梁川)までの流路は柳井原貯水池となり現在に至る。[2]

さらにその後の改修により、酒津分岐の東高梁川は廃川となり、1925年(大正14年)に明治期から続いた大改修工事は完成し、西高梁川が本流となり、現在に至っている。旧河口部には水島市街地、旧堤防には水島臨海鉄道水島本線や八間川用水などが造成された。[2][1]」
高梁川 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A2%81%E5%B7%9D#.E8.BF.91.E4.B8.96.E3.80.9C.E7.8F.BE.E4.BB.A3.EF.BC.88.E9.85.92.E6.B4.A5.E5.88.86.E5.B2.90.EF.BC.89

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