今日の山陽新聞には「洪水対策 長年の懸案」と題して、真備町の洪水問題を取り上げています。その中で国土交通省岡山河川事務所によるととして「高梁川は小田川との合流後に大きく湾曲しており、大雨のよる増水時には小田川への逆流が起きるなどして水位が上がりやすい特性がある。・・・・・・・今回の決壊も合流点で水が流れにくくなったことが影響した可能性がある。」との見解を取上げ、さらに、小田川の治水対策はおよそ半世紀にわたって続く懸念と言え、「治水機能の上では、できる限り早く手を打つべき場所であった」との岡大教授の指摘を載せています。
こうした今の合流点の形状を造ったのは、明治の終わりから大正年間にすすめた当時の内務省の「高梁川大改修」だったのです。
この大改修の特徴は、酒津から水島に流れていた高梁川東派川、現在の柳井原貯水池を通って玉島に流れる高梁川西派川の2川であった高梁川を東派川を廃止し、現在の西派川に統一、1川方式を取ったことです。このことによって現在の合流点の形がつくられたのです。それ以来、真備町は小田川の治水問題に悩まされることになったのです。
したがって、真備町洪水、小田川治水問題の長年の懸念は半世紀どころか、百年になろうとしているのです。
かって、真備町の古老から聞いた話では「この高梁川大改修は『大の虫を生かして小の虫(真備町)を・・・・・・・。』だ。」と口惜しそうに語られたのを思い出しています。
あっ、そうそう、昨日東北から来たボランチアの方が、「市にボランチアを受け入れてもらえない」と不満を聞かされたとの声が寄せられています。
どうしてでしょう。被災者は応援を待っているのではないでしょうか。多くの方が猛暑の中で苦闘しています。
今回の真備町の浸水対してとても残念だと思います
確かに今回 たびたび真備町が浸水ることは事前に分かってて今回の小田川付け替え工事がようやく来年着工となりますが、旧内務省のこの計画から考えてもただ真備町だけが苦しい思いをしたわけではありません
色々な政策が2点3点した結果、貯水池がある地区は大いに困惑しております。
現に長年耕作してた人は、生活の基盤も奪われ 自然豊かな貯水池が今度は河川に変わる
一長一短にはいかなことは重々承知ですが、今のマスコミや学識のある先生たちがもっと早くから対策をしておけばと思うとか言われると地元住民が邪魔したような印象を与えかねません
約100年前から苦労してるのは、こちらの住民だという事を忘れないでほしいです
それが昨今の私が思う信条です
投稿情報: 水別れの住人 | 2018/07/10 23:57