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« 発信力とは何だ。 | メイン | 平家滅亡後、鎌倉幕府は全国に地頭を配し、権力確立へ »

2012/01/30

コメント

名無し

まだ、その時代は海が近く、井原線が通る一帯が山陽の主要な道であった証ですね。
産業構造の変化から、内陸部が見直される時期が来るかもしれません。

鯉にょうぼ

大変うれしく思いながら読ませて
いただきました。年の離れた夫は
「浮世をば今こそ渡る武士の名を
高松の苔に残して」水攻めの地を幾度も尋ね、福山城での戦いの
責任を取って切腹した辺りとか
鬼の城は最初から何回も、
死してもラッパを離さなかった人のことや山中鹿之助など
今ここにいたらどんなに喜んで読ませていただいたことでしょう。
心から感謝です。
真備町の寺の奥様から昔足利尊氏に寺を焼かれてしまって・・・
とか国分寺の塔の解体修理の折
瓦に名前を書いて寄付させていただいていますので娘があの辺りが好きでドライブといえばそこで
「お父さんがあの塔の屋根にいるよ」と話します。
歴史は
知らないが私達には何故か心にしみる風景です。
お忙しいのに本当にありがとうございました。

       合掌

白井浩子

吉備は古くからの政治の舞台なのですね。

ちょうど、友人が人間性の観点から宗教について書いたので、関連として、松本清張の遺稿(未完成。『神々の乱心』)関係の文献を読んでいました。『松本清張研究』第11号、です。

その号に、小森陽一氏が面白いことを論考していて、いろいろ教えられます。”「天皇制」の歴史的深層へ ―『神々の乱心を読む』―”です。

平和委員会の知人が、「天皇のために死ぬ」と思いつめて育っていたから、「新憲法になってもなかなかそれになじめなかった」と聞き、考えさせられました。どうしてそこから抜けたかといえば、「書物を学ぶことなどで」とのことで、それまた考えさせられました。

彼の少年時代は特別ではないと思われます。でも、そこから、事実を見るようになるには、誰でもそうできるとは限らぬと思えて・・・。

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