今日の昼NHKテレビで放映された.「原爆の絵」の中の光景です。この放映の画面の余りの悲惨さに涙がこぼれます。私が育ったのは、今の呉市です。原爆投下された日、母は雨戸が外れるばかりの衝撃があったと話し、しばらくして広島は「火の海じゃ」と知らされたと聞かされたものです。隣の親戚のおばさんの子どもは広島の中学に在籍していて原爆にあいました。広島の焼け野原を子どもを探して歩いたといいます。見つけることはできなかったのです。また、私の友達のお母さんは原爆手帳をもっていました。原爆の後遺症に苦しんだのではないでしょうか。そんなことを思い出しています。
この度、国連で「核兵器禁止条約」が採択されたが被爆国の日本政府はこの採択に参加しませんでした。今日の午前、広島原爆の日の安倍総理の言葉に憤りを感じるものでした。
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