小田川と高梁川の合流点付替えで南山城跡は掘削され姿をけします。岡山県古代吉備文化財センターが平成29年4月から行っている発掘調査での説明会が現地であり参加しました。この南山(みなみやま)城跡は真備町川辺と船穂町柳井原の境界にある標高67mの山城跡で戦国時代16世紀に毛利氏が築いたのではと推測されています。
南山城跡の遺構の用語は曲輪、土塁、虎口、切岸、横矢、堀切、竪堀、横堀、畝状竪群などと初めて聞く用語もあり、高梁川と山陽道と水上、陸上の交通路を見下ろす要衝として、この小さな山城は鉄壁な防御施設となっているとのことでした。
本日で300人の参加があるとされており、愛媛県、静岡県からの参加と聞き驚きました。他県からの方も多いのではないでしょうか。
この風景は、南山城跡から北を望んだものです。右の高梁川、左が小田川です。伊予部山城跡、鬼身城跡、猿掛城跡も見ることができます。こちら側が山陽道です。
あと5年もすれば、この付近の風景も一変します。今から百年近く前、高梁川2川から1川方式への大改修で残された課題、小田川治水が前進します。新しい合流点でのバックウオータが無くなるわけではありません。この付近での堤防の強化、背割堤・導流堤を適切なものへ、変わる水利への対応、笠井堰の固定堰から開閉式にし天端の高さを低くすることなどが求められます。
そして、なによりも日ごろからの川の浚渫、伐採などの細心の管理が必要です。
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