このトンネルの上をJR山陽線が通っています。ここは、JR山陽線が高梁川を渡り、新倉敷側に向かって除除に下がってゆく盛土の中を走る道路(船穂地内第一トンネル)です。
この写真の向こうは赤いレンガで作られています。手前はコンクリートです。
現在のJR山陽線の線路は、このコンクリートの上を通っています。これは、昭和21年(1946年)12月21日に起きた南海地震で鉄橋が落ち、鉄橋を南側に線路移動し、軌道を変えた南海地震の傷跡なのです。
昭和31年に発刊されている連島町史には、昭和の南海地震の記録が残されています。
そこには、鉄道被害は甚大で鉄橋高梁川西築堤は300㍍にわたり東で20㎝、西で50㎝沈下したとあります。
さらに、連島地域では、数千カ所泥土が噴き出したと液状化が発生した記録等が記述されています。
私は、この6月議会で、1900年の初頭から今日まで震度4以上を観測したこの地の地震は17、その中で一番大きかった地震(M8,0)昭和の南海地震だとし、町史や村史から生きた教訓である被害状況の把握を求めました。
伊東市長は把握に努めたいと答弁しています。
日比谷入江を埋め立てた江戸城(現在の皇居)も、東京都が市場を移転しようとしている築地も、昔は海であった。
同様に、倉敷市の平地の多くが、海を埋め立てたり、河川による堆積で、形成された。
江戸時代は停滞した時代だと思われがちだが、土木工事が盛んに行われた時代であり、水田が増え、人口が倍になった。
埋め立てられてきた平地では、倉敷市が液状化を予測している。
液状化しますで終わらせて善い問題では無い。
落橋も同じだ。経験的にどの橋が落ちるか判っているはずだ。
現に、国道では落橋防止装置が設備されている箇所がある。
駅前の高架に現(うつつ)を抜かすより、防災に力を注(そそ)ぐべき時季だろう。
「倉敷一帯の島々は宇喜多秀家から始まった干拓が江戸時代以降も続き、やがてそれらの島々が陸続きになり現在の平野が形成された。なかでも小豆島に匹敵する大きさの吉備児島は児島半島となった。」
倉敷市 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/倉敷市#.E8.BF.91.E4.B8.96
投稿情報: 名無し | 2011/07/17 22:31
古い地図では総社も海です。酒津は酒を積み出す港です。
県南は3大河川によって造られた三角州です。干拓地です。
液状化は避けられません。
倉敷市は水島コンビナートをかかえています。危険物の集積地です。M9,0で引き起こされる複合災害ともなれば、風向けによれば危険物・毒物は、数分で人家にと到達します。事態認識のいとまがあるでしょうか。
投稿情報: 田儀 公夫 | 2011/07/17 23:30
> 事態認識のいとまがあるでしょうか。
仙台で津波の被害が大きくなったのは、平安時代の貞観地震(じょうがんじしん)を知らず、大津波が来ることと来てどうなるか、実感として迫ってこなかったからでしょう。
> 県南は3大河川によって造られた三角州です。干拓地です。
このこと自体も、岡山県民に確り知らせるべきです。
仙台の二の舞は避けなければなりません。
投稿情報: 名無し | 2011/07/18 00:21
水島は化学工場が多くあります 危険な化学薬品を多量に使用しています またその周辺には毒のマークの付いたトラックも多く走っています 私は危険だと思っています
投稿情報: おじさんA | 2011/07/18 20:03