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物議を醸した「坂の上の雲」の映像化、子どもの頃、母から日露戦争の物語をよく聞かされた私は、戦後の「軍国少年」だったように思います。私の住む街には、いまでも上のような東郷平八郎の備前焼が立っています。お宮には、東郷平八郎の「皇国の荒廃・・・・・・・」の文章が漢文で書かれた石碑があります。今の青少年、このHNKの映像を見てどのように感じるのでしょう。戦争の悲惨さや反戦を感じるのでしょうか。戦争の作戦、戦略本位になって、帝国主義、植民地主義時代の状況が客観的に表現されていないなと映像を見て感じています。
>戦争の悲惨さや反戦を感じるのでしょうか。
国家権力の側に立って見ていたら感じない。
国民の側に立って戦争で置かれる立場を想えば感じる。 自分が死ぬ、家族や友人や同僚が死ぬ。 家屋や動産を失う。 激しいインフレで金融資産が無価値になる。国家権力から強いられて加害・殺人を犯し、法的・道徳的に責められる。
どれほど戦争を美化しても、敵も味方も、鉄砲の弾が貫通する。 爆弾が細切れの肉にする。 原爆が蒸発させあるいは丸焦げにする。
そういう想像力を働かせてもらうように伝えなければならない。
圧倒的な軍事力を誇るアメリカ軍でも、イラクだけで、数千人も死んでいる。 イラク人の恨み以外に、「押し込み強盗」侵略戦争で何物を得たのだろうか。
投稿情報: 名無し | 2011/12/18 23:58
アメリカ帝国主義の目撃者でもあったようです。 もうこの頃から日米両帝国は太平洋の支配権で対立していたようです。 アメリカ帝国主義は、ベトナムで挫折しても、今はイラクまで達しています。 日本は、敗戦から三分の二世紀を経た今も今も半「占領」下です。
「ハワイでのクーデターに際して
1893年(明治26年)、ハワイ王国のリリウオカラニ女王が米国との不平等条約を撤廃する動きをみせると、これに強く反発したアメリカ人農場主らが海兵隊160名の支援を得てクーデターを起こし、王政を打倒して「臨時政府」を樹立した。この時、日本は邦人保護を理由に東郷平八郎率いる軍艦「浪速」他2隻をハワイに派遣し、ホノルル軍港に停泊させてクーデター勢力を威嚇した[2]。女王を支持する先住民らは涙を流して歓喜したといわれる[3]。また、ハワイ在留日本人も女王支持派に同情的であった。しかしアメリカによるハワイ併合は1898年に実現される。」 東郷平八郎 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E9%83%B7%E5%B9%B3%E5%85%AB%E9%83%8E#.E3.83.8F.E3.83.AF.E3.82.A4.E3.81.A7.E3.81.AE.E3.82.AF.E3.83.BC.E3.83.87.E3.82.BF.E3.83.BC.E3.81.AB.E9.9A.9B.E3.81.97.E3.81.A6
「神格化」は、敗戦前から弊害が生じていたようです。
「晩年において海軍における東郷の権威は絶大で、官制上の権限は無いにもかかわらず軍令・軍政上の大事は東郷にお伺いを立てることが慣例化していた。海軍省内では伏見宮博恭王軍令部総長とともに「殿下と神様」と呼ばれ、しばしば軍政上の障碍とみなされた。井上成美は「東郷さんが平時に口出しすると、いつもよくないことが起きた」と述懐したうえで、「人間を神様にしてはいけません。神様は批判できませんからね」と語っている。また岡田啓介・米内光政・山本五十六なども、東郷の神格化については否定的な態度をとっている。」 東郷平八郎 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/ %E6%9D%B1%E9%83%B7%E5%B9%B3%E5%85%AB%E9%83%8E#.E7.A5.9E.E6.A0.BC.E5.8C.96
投稿情報: 名無し | 2011/12/19 09:28
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>戦争の悲惨さや反戦を感じるのでしょうか。
国家権力の側に立って見ていたら感じない。
国民の側に立って戦争で置かれる立場を想えば感じる。
自分が死ぬ、家族や友人や同僚が死ぬ。
家屋や動産を失う。
激しいインフレで金融資産が無価値になる。国家権力から強いられて加害・殺人を犯し、法的・道徳的に責められる。
どれほど戦争を美化しても、敵も味方も、鉄砲の弾が貫通する。
爆弾が細切れの肉にする。
原爆が蒸発させあるいは丸焦げにする。
そういう想像力を働かせてもらうように伝えなければならない。
圧倒的な軍事力を誇るアメリカ軍でも、イラクだけで、数千人も死んでいる。
イラク人の恨み以外に、「押し込み強盗」侵略戦争で何物を得たのだろうか。
投稿情報: 名無し | 2011/12/18 23:58
アメリカ帝国主義の目撃者でもあったようです。
もうこの頃から日米両帝国は太平洋の支配権で対立していたようです。
アメリカ帝国主義は、ベトナムで挫折しても、今はイラクまで達しています。
日本は、敗戦から三分の二世紀を経た今も今も半「占領」下です。
「ハワイでのクーデターに際して
1893年(明治26年)、ハワイ王国のリリウオカラニ女王が米国との不平等条約を撤廃する動きをみせると、これに強く反発したアメリカ人農場主らが海兵隊160名の支援を得てクーデターを起こし、王政を打倒して「臨時政府」を樹立した。この時、日本は邦人保護を理由に東郷平八郎率いる軍艦「浪速」他2隻をハワイに派遣し、ホノルル軍港に停泊させてクーデター勢力を威嚇した[2]。女王を支持する先住民らは涙を流して歓喜したといわれる[3]。また、ハワイ在留日本人も女王支持派に同情的であった。しかしアメリカによるハワイ併合は1898年に実現される。」
東郷平八郎 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E9%83%B7%E5%B9%B3%E5%85%AB%E9%83%8E#.E3.83.8F.E3.83.AF.E3.82.A4.E3.81.A7.E3.81.AE.E3.82.AF.E3.83.BC.E3.83.87.E3.82.BF.E3.83.BC.E3.81.AB.E9.9A.9B.E3.81.97.E3.81.A6
「神格化」は、敗戦前から弊害が生じていたようです。
「晩年において海軍における東郷の権威は絶大で、官制上の権限は無いにもかかわらず軍令・軍政上の大事は東郷にお伺いを立てることが慣例化していた。海軍省内では伏見宮博恭王軍令部総長とともに「殿下と神様」と呼ばれ、しばしば軍政上の障碍とみなされた。井上成美は「東郷さんが平時に口出しすると、いつもよくないことが起きた」と述懐したうえで、「人間を神様にしてはいけません。神様は批判できませんからね」と語っている。また岡田啓介・米内光政・山本五十六なども、東郷の神格化については否定的な態度をとっている。」
東郷平八郎 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/
%E6%9D%B1%E9%83%B7%E5%B9%B3%E5%85%AB%E9%83%8E#.E7.A5.9E.E6.A0.BC.E5.8C.96
投稿情報: 名無し | 2011/12/19 09:28