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2012/01/05

コメント

名無し

「福を呼ぶ」日本共産党を見直してもらいたいですね(笑)

「昔は、おたふくのような顔立ちは、福を呼ぶ好ましい顔立ちとされていた」
お多福(おたふく) - 語源由来辞典
http://gogen-allguide.com/o/otafuku.html

名無し

「顔を記憶する力も、年齢には勝てない」のは、誰でものようですね。

「顔を識別する能力は10歳ぐらいまでに急速に発達し、いったん停滞、そして13歳前後からふたたび記憶力を高め、20歳前後で発達がピークに達します。その後は、徐々に下り坂を迎え、高齢になればなるほど、相手の顔がわからなくなってしまうのです。」
人の顔だけを専門に記憶する脳細胞があった! ──人の顔を見分けるための特別な仕組み「顔細胞」|「脳」がわかれば「なぜ?」がわかる!|ダイヤモンド・オンライン
http://diamond.jp/articles/-/5944

白井浩子

ブログにお書きのことに端緒を得て、いろいろなことに発展させていただけて、面白いです。

今日は、こんなことを考えました。
思いのたけを語る、というのは、独白なのか、と。
相手を意識しての対話ではなく、或る種、内言というか、吐露せずにはいられない、ということなのか、と思わせられました。

樋之津さんのブログに書きましたが、ヴィゴツキーが人間の高次精神活動の発達について、実に納得させられる研究をしています。
生まれてから小学校入学、さらに勉学、と進むにつれ、心理やことばで何が発達していくか、という個人における発達と、人類がサルとの共通祖先から分かれて人間性を発達させていく経緯とを、考察しているのです。

個人レベルでの言葉の発達は、次の3段階を経る、というのです。
1)まず、コミュニケーション機能から始まり、これは呼びかけに応答する、など(外言といいます。適切な応答をしますが、思考はそれほど深くない)。
2)やがてそれを自分自身に適用すること、つまり、自分自身の中で反省・吟味するようになる(このときは外部との関係ではなく内に向かっているので、発声はしていても、傍目からは何を言っているのか分からないことがある。自己中心的と呼ばれる)。
3)そうして、さらに高次の思考が可能になっていく(大人に備わる、きちんと現実を読み取る能力へと発達)。
というものです。

この2)の段階の状態について、ヴィゴツキーとピアジェとの間に考えの違いがあり、ヴィゴツキーがピアジェを批判しました。この批判をピアジェは多く受け入れました。

(ピアジェは、2)の局面での子どもの「自己中心的な話ぶり」について、次としました。それは、或る種、<自閉症や白昼夢様のぼんやりした意識>Aと、<明晰に自覚のある意識>Bとの中間だ、と。
ヴィゴツキーはこれを批判しました。
なぜなら、「Aは、Bの成立後に起る或る種問題の状況である。しかし、子どもの意識は、まだBのないところから次第にそれを形成していく過程にあるのであって、発展の順の捉え方が誤りだ」と。Bの後に生じた欠陥、ではなく、Bを形成していく積極的意味のある過程なのだ、と。)

今、大変、かっ飛ばして紹介していますが、ヴィゴツキーの研究は素晴らしいと思います。
文献『新訳版 思考と言語』ヴィゴツキー、新読書社)

二人は同年誕生ですが、ヴィゴツキーは早く亡くなったので、残ったピアジェが世間で重視されています。けれども、人間の心理や言葉の発達に関する重要な点は、大いにヴィゴツキーに負うと思います。

それはともかく、老女性が田儀さんの前で語ったのは、コミュニケーションというよりは、内言の吐露なのではないだろうか。
「田儀さんを前にして、その相手に適切なテーマに関して対話する」というよりは、田儀さんの話しかけをきっかけにして、胸に詰まっている思いを語ったのではないのか、と思いました。
寂しい暮らしに耐えているので、堰を切ったように、思いが出たのではないでしょうか。

人って、相槌を打ってくれる人がそばにいる、というようなことを欲しているのですよね。
その老婦人を友人や親戚の方が時折、訪うことを祈ります。

とかく長くなって済みません。

田儀  公夫

ありがとうございました。
参考になります。

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