大雪のニュース、映像が報じられています。雪かきの苦労や自治体の雪除去の予算の捻出の苦労です。
倉敷地域にも、夕方にはうっすらと雪が積もり?ました。
私たちの瀬戸内の街は、こうした苦労が無いだけありがたいなと思います。
田中直樹防衛相が、自民党の元自衛官の佐藤参議院や防衛お宅の石破議員の「自衛隊仕込みのお宅知識」で「いじめ」られています。
閣僚の弱い還への集中攻撃です。党略です。
「さすが共産党」と言われる赤嶺議員のような質問をしてほしいものです。
同じ「答弁不能]でも中身が大違いです。
田中防衛大臣に質問すると、「コラー」と怒りに燃え、髪を乱した田中真紀子が出てきそうな「恐怖」を感じます。
NHKのブラタモリの番組が流れています。
懐かしい名前「曲垣平九郎」が馬で駈け上ったのは、この愛宕神社の階段だと。こんなに急なのか!
子どもの頃、となりの兄さんが紙芝居してくれたあの曲垣平九郎だ、忘れないものですね、半世紀以上も経っているのにね。
> 田中防衛大臣に質問すると、「コラー」と怒りに燃え、髪を乱した田中真紀子が出てきそうな「恐怖」を感じます。
「江戸の敵を長崎で討つ」ですか(笑)
当分、「田中真紀子」氏が自民党に寝返ることはなさそうですね。
投稿情報: 名無し | 2012/02/02 23:25
人の良さそうな田中直樹防衛相
内憂外患、私も帰ったら真紀子にやられるぞ!と少し可愛そうになる。
何方かが彼のことを世界一辛抱人だとか言って苦笑。
「父さんは回転が遅くて芯は強いが穏やかだから人に好かれていたが母さんは間髪いれずやり返すから田中直樹の苦労他人事でないよ、」と娘にやられ早口でやり返す私です。
私は真紀子さんの気持ちがよく分かる。(笑)
曲垣平九郎もダンナからきいていますが
中尉や少佐や大将など何べん
聞いても覚えませんでした。
夫は尼崎空襲の物凄い火の中を
逃げまくった、腹がへって辛かった、それでも彼の兄と同じように
特攻隊に行こうと待っていたというのですからあの頃の少年は凄いですね。本当に神の国と思っていたのですから。戦中戦後の
年齢の差は中身が違いますね。 もっと聞いておけばよかった。
失ったものの大きさを時間が経つほどに思うこの頃です。
投稿情報: 鯉にょうぼ | 2012/02/02 23:52
> 特攻隊に行こうと待っていたというのですからあの頃の少年は凄いですね。
まだ「少年」だった?からかもしれませんね。
「岩本徹三少尉の手記には特攻による士気の低下を書きとめており、特攻を“勝算のない上層部のやぶれかぶれの最後の悪あがき”と批判した。[53] 坂井三郎中尉は特攻で士気があがったと言われるのは嘘で士気は低下した、上がったというのは大本営と上の連中の大嘘だと戦後のインタビューに答えている[54]。 渡邉恒雄はニューヨーク・タイムズのインタビューにおいて、二等兵として入隊した太平洋戦争終盤に行われていた特攻に関して「彼らが『天皇陛下万歳!』と叫んで勇敢に喜んで行ったと言うことは全て嘘であり、彼らは屠殺場の羊の身だった」「一部の人は立ち上がる事が出来なくて機関兵士達により無理矢理飛行機の中に押し入れられた」と語っている[55]。 ある特攻隊員は「俺は国のために死ぬのではない、この命令をした上官にあてつけのために無駄死にするのだ」と乗艦前にやけくそ気味に離陸していくものなど、胸のうちは様々だったのが見て取れる。」
特別攻撃隊 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5%E6%94%BB%E6%92%83%E9%9A%8A#.E7.89.B9.E6.94.BB.E9.9A.8A.E5.93.A1.E3.81.AE.E5.A7.BF
投稿情報: 名無し | 2012/02/03 00:06
参考資料有難うございました。
あまりに多いので後でゆっくり読みます。自由に育った私は戦後映画、本で語ればきりがないほど見ましたその上で渡辺恒雄、読売のナベツネのことでしょうか?
不愉快でした、確かに喜んで死にに行く人は居ませんが>彼らは
屠殺場の羊の身だった、
のうのうと生き残って若者達を煽っておきながら反省のない責任を取らない
物達への怒りと例えどんな思いだったとしても死んで行った人を
意志のない羊呼ばわりされた事に
彼らに謝って貰いたいのに
羊呼ばわりされてはあまりにも
悔しいし悲しい。
私達は彼ら特攻の人々を軍隊とは
?教育とは?その恐ろしさこそ
肌身に感じるが決して彼らの
死を行為を笑うような事は許されない。犬死といわれる悔しさを
配慮して貰いたいものである。
投稿情報: 鯉にょうぼ | 2012/02/03 01:14
今から40年以上前のことである。
船を借り切って諸島をめぐりビラを配った時の事です。
島の峠辺りで二人の老夫婦が縁側で日向ぼっこをしていたのだろうか、見ると3人の若者の遺影が飾られていた。
息を呑んだ,戦死なさったのですか?と聞くと悲しそうに
今は二人だけなんですよといわれた。
私は共産党のビラを配りながら
後の言葉が出なかった。
志望あり赤紙一枚でとられるもの、
その時人は犬死といいますがそれでは息子達が可愛そうです、と涙を
ポトリと。
私は党の訴えをするときは必ず分けて言葉を選んで係わらなければいけないと今もその方達が切なく
思い出されるのです。
お人よしは騙されていい分けないでしょう,すたこらと逃げ延びた奴等、いつの場合も責任を取ろうとしない原発しかり。
「きけわだつみの声」「姫ゆりの塔」等反省の上に立った作品が
矢継ぎ早に放映されましたね、
私は戦争を憎み進めたものを恨み
命をかけた人に平和をありがとう、と
決して感謝を忘れ名でおこうと
少しきつく言ってすみません。
投稿情報: 鯉にょうぼ | 2012/02/03 01:54
> 人は犬死といいます
権力に左右されて自律的に決められなかった結果ですから、「徴兵」あるいは「志願」されたその人に視野を限ってその判断・生き方の良し悪しを言うのは、大きな無理があります。
自由があっても、案外、人が自分で決められる選択肢は狭いものです。
戦争中の国家総動員体制では、歯車の一枚・螺子(ねじ)一本に過ぎない位の存在として、何ともならなかったでしょう。
だから、特攻隊員は無念であったし苦しんだのでしょう。
誰もが、天寿を全うできる、存分に生きた、と言える社会にしたい。
> 命をかけた人に平和をありがとう
悔しかっただろう、助けられなくてごめんなさい、と言うのが真っ当だと思います。
また、戦争をしたが故に平和になったとは考えられません。
今でも、中国を侵略したが故に、中国人の恨みは今も残っています。
それが、将来の戦争の「種」にされ連鎖するかもしれません。
そして、反日感情・反中国感情が煽られるでしょう。
今でも、極東の米軍と自衛隊の軍備増強は、中国に向けたものです。
生きたい、幸せになりたい、万人がそうなれる社会を築くのが、我々の役目です。
投稿情報: 名無し | 2012/02/03 02:39
戦争の連鎖が何を生むか、
何もかも分かっています、その上であえて私は特攻隊の議論をしているいまそこに限って
「平和を有難う」とそれは叉原爆犠牲者にもその他多くの人にも同じように思っています。
戦争をしたが故に平和になったと私の文章から取れたのでしょうね。そんなに取れる文は
行間にもないはずです。
単に教育はこわいなあ~
悔しかった人ばかりではありません。そう思ってあげてこそうかばれると覆うのです。
せめてもの彼らへの思いです。
小さいながらも実体験している私とはずれを感じてなりません。
そっと手を合わすだけでいいではありませんか。
今更侵略がどうの役目がどうの
お教え願わなくても腹の隋まで分かっているからこそ人生の殆どを
平和の活動に費やしてきたので
逢ってわたしや夫には
自負があります。失礼します。
投稿情報: 鯉にょうぼ | 2012/02/03 10:02
訂正
覆うは思う、逢ってはあって
ですので訂正します。
投稿情報: 鯉にょうぼ | 2012/02/03 10:22
> 小さいながらも実体験している私とはずれを感じてなりません。
> お教え願わなくても腹の隋まで分かっているからこそ人生の殆どを
今では、多くの人は「小さいながらも実体験」していないのです。
そして、靖国神社参拝の論理と酷似していると思いました。
投稿情報: 名無し | 2012/02/03 14:02
ここではこれ以上自論は止めます。
虚しくなるだけですから。
実体験少ない貴重なものです、岡山の空爆も経験してます。
それに謙虚に耳を傾けなければなりません。
靖国神社参拝はどこに問題があるか、
簡単に酷似しているとは失礼です。
投稿情報: 鯉にょうぼ | 2012/02/03 14:14
靖国参拝賛成ではありませんよ、
こんな事まで書かないと叉あらぬ受け取り方をされるやも?
何でこうなるのでしょう、残念ですね。
信頼されていなければそれでいいです戦いは人のためでないですから。
しかし焼け野原から立ち上がってここまで、
老人は金食い虫だから早く市ねといわれているようだと言ったら
心外でしょう?
共産党はもっと暖かいはずです。
投稿情報: 鯉にょうぼ | 2012/02/03 14:31
訂正
市ねではなく死ねです。少々いらだっていますから読み直しを
省いて申し訳ありません。
投稿情報: 鯉にょうぼ | 2012/02/03 14:35
> そっと手を合わすだけでいいではありませんか。
それだけではだめでしょう。
日本人の犠牲者の向こうには中国人だけでもその十倍の犠牲者が無念の死を遂げています。
沖縄県・硫黄島・千島などだけでしか日本固有の領土では地上戦が行われませんでしたが、大日本帝国の陸上部隊が侵攻した中国の犠牲者の多くが民間人です。
それから、「特攻機」ばかりが「特攻」ではありません。
戦死者の数はずっと多い無闇な突撃を繰り返した「玉砕」も「特攻」です。
同年代であっても、戦場にあった人、徴兵・志願・出兵前後にあった人、「銃後」にあった人、その家族など置かれていた状況で、それぞれ受け止め、考え方が違ってきます。
中日新聞:最後の証言:特集・連載(CHUNICHI Web)
http://www.chunichi.co.jp/article/feature/shougen/
現代にいる我々は、できるだけ視野を広げて考える必要があると思いますがいかがでしょうか。
事情がはっきりしているある人との応対ならば、「鯉にょうぼ」さんの書かれていることはもっともと考えられる場合もあるでしょう。
それを一般的な対応にされようとすると、親類や縁者が死に追いやられたことを悔しく思っている者にとってはやりきれないでしょう。
投稿情報: 名無し | 2012/02/03 15:09