上の写真は、高梁川の付属物、柳井原貯水池の排水樋門です。柳井原貯水池は、明治・大正年間に西高梁川を上流、下流に各々締切堤防を造り貯水池としました。排水樋門は、上流側に付けられています。排水した水量は酒津の笠井堰で捕捉され東西用水に配水されます。
しかし、この貯水池は、有効に利用出来ませんでした。柳井原貯水池は、底が砂礫層で水が貯まらなかったのです。高梁川整備計画では、この柳井原貯水池の上下の締切堤防を開削し、高梁川の支線小田川を引き込み、小田川と高梁川の合流点を今の地点から、下流4.6キロ㍍に移す計画です。
私は今日の質問でこうした近代の土木遺産を後世に残すことを要求しました。また河道となる中にある当時の高瀬通し一の口水門関係付属物の構造物を保存するよう求めました。
今日の私の一般質問の答弁は、まったく不十分でした。
一の口水門
> 柳井原貯水池は、底が砂礫層で水が貯まらなかったのです。
> 高梁川整備計画では、この柳井原貯水池の上下の締切堤防を開削し、高梁川の支線小田川を引き込み、小田川と高梁川の合流点を今の地点から、下流4.6キロ㍍に移す計画です。
地下に浸透し地下を流れるのでしょうが、どんな影響があるのでしょうか。
投稿情報: 名無し | 2012/03/08 00:40
> 地下に浸透し地下を流れるのでしょうが、どんな影響があるのでしょうか。
「柳井原貯水池」に「小田川」を引き入れると、地下にますます浸透しそれが地下を流れるのでしょうが、周囲や地下水が流れる地域にどんな影響があるのでしょうか。
と訂正します。
投稿情報: 名無し | 2012/03/08 02:23
小田川の表流水の捕捉は笠井堰でできなくなり、東西用水に影響します。小田川の引き込みは河道の地下に止水壁を造くることでないので影響はそんなにないのでは。
ただ、堤防底の構造によるでしょう。
田儀
投稿情報: 田儀 公夫 | 2012/03/08 09:54