この写真は昨日の私のブログを見た友人が画像処理してくれた写真です。
炎が見えています。
倉敷市消防局の文書によれば、この火災の発見日時は8月5日(日)11時23分、通報日時は同11時29分(119)となっています。
この発見日時は、大変遅いのではないでしょうか。
また、火災の地区放送の第一報は12時10分、発災放送しています。
これも、また遅すぎるものです。
今日、8月6日原爆が広島に投下から67年、親戚のおばさんが、広島の中学に通っていた子どもを探しに、焼け野原を探しまわったが見つけることができなかったと。焼け野原を歩きまわったためか、おばさんも早く亡くなられました。そんなことを思い出しています。
> 焼け野原を歩きまわったためか、おばさんも早く亡くなられました。
日本にも科学者がいたのですから、放射能の危険性は、当時の天皇などがよく知っていたはずです。
その前年の大地震も隠していました。
福島原発でも隠し捲(ま)くりました。
マリ・キュリー - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%83%BC#.E6.AD.BB.E5.8E.BB
「当時、日本は太平洋戦争の最中で、軍需工場の被害状況などの情報が日本の国民や敵国に漏れることを恐れた軍部は情報を統制した[20]。また翌8日が真珠湾攻撃3周年(大詔奉戴日)ということもあり、戦意高揚に繋がる報道以外の情報はより一層統制された(12月8日の各紙の1面トップはいずれも昭和天皇の大きな肖像写真および戦意高揚の文章で占められている)。地震についての情報は、(1面ではない)紙面の最下部のほうにわずか数行程度、申し訳程度に記載されただけで、しかも「被害は大したことはない」「すぐに復旧できる」といった主旨のこと、つまり実態とは大きくかけ離れた虚偽の内容が書かれたにとどまる。
また、被害を受けた各地の住民は、被害について話さないように、とする戦時統制に基づく通達が行政側からまわった。例えば学徒動員され、半田市の中島飛行機の工場で働いていた少女は、同世代の友人が崩れ落ちてきた屋根の下敷きになって死亡するのを目撃し自身も死にかけたが、そうした出来事・被害状況を「決して人に話さないように。話すことはスパイ行為に等しい」などと、教師から指示されたという[21]。」
東南海地震 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%8D%97%E6%B5%B7%E5%9C%B0%E9%9C%87#.E6.88.A6.E6.99.82.E4.B8.8B.E3.81.AB.E3.81.8A.E3.81.91.E3.82.8B.E5.9C.B0.E9.9C.87.E8.A2.AB.E5.AE.B3.E3.81.AE.E9.9A.A0.E8.94.BD
投稿情報: 名無し | 2012/08/06 23:48
誰が「プレッシャー」をかけていたのでしょうか。
経営者は関与していなかったのでしょうか?
「報告書では、フル稼働継続のプレッシャーで違法意識が希薄▽担当者の法令に対する理解が不十分▽チェック機能が働いていなかった―など7項目を虚偽報告に至った原因とし、再発防止策として法令教育の再徹底や内部通報制度の充実、組織間のチェック機能強化などを挙げた。」
JX水島虚偽報告で県に陳謝 調査結果と再発防止策提出 - 山陽新聞ニュース
http://www.sanyo.oni.co.jp/news_s/news/d/2012082020271551/
投稿情報: 名無し | 2012/08/21 22:51