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心配された台風12号、大きな被害はなかった模様。ひと安心でした。その夜には、大きな月が出ていました。また、暑い日がつづく様子。気をつけましょう。
矢形橋近くから合流点望む小田川の樹木
国交省岡山河川事務所が小田川の中に茂った樹木の緊急伐採を23日から始めたと報道されています。しかし、河川事務所は「今回の決壊の大きな要因と考えていない」としています。これはおかしなことです。2010年の高梁川水系整備計画では高梁川や小田川の河積確保のため河道掘削、樹木伐採の重要性を繰り返しあげながら、実際はないがしろにされてきたものです。小田川の何千、何万本(何十万本?)の森がどれだけ小田川の流れを阻み、堤防に負荷を与えたことでしょう。何万本の木が河積ををどれだけ狭めたでしょう。報道によると前野岡大教授(国の小田川決壊原因調査委員会委員長)は樹林と堤防決壊の因果関係について「影響はゼロではないだろうが、詳細に検討しなければわからない」と述べたとあります。7人の河川専門家らで構成される決壊調査委員会の会合が非公開で開かれています。「影響がゼロではないだろうが」というのであれば、こうした会合は公開され、様々なデータ、検証手法も公開されるべきものです。さらに、この会合では,本流である高梁川のの水位が上がり、支流の水が流れにくくなる「バックウオーター現象」よって引き起こされたとの見方とあります。小田川合流点のバックウオータ現象問題は、今の川の形を造った、百年近く前の明治・大正年間の高梁川大改修で当時の小田川沿川の村や船穂村が指摘し、柳井原貯水池の建設に反対していたものです。そうであれば、国交省や岡山河川事務所は,置かれている現在の条件下で小田川、高梁川の河積確保に万全の対策を立てる使命があっのではないでしょうか。私たちは繰り返しそのことを要望してきただけに残念なのです。 二万橋付近の小田川
矢形橋下流付近の小田川
二万橋下流付近
福松橋から下流を望む 福松橋から下流を見る 小田川決壊近く箭田橋から下流を見る 福松橋から上流、仮復旧の堤防負担の軽減すると緊急伐採が進んでいます。住民からは「遅すぎる」「証拠隠滅か」「なぜ、早くしなかったのか」と怒りの声が寄せられています。
早朝、巣の前の止まり木に出てしきりに羽ばたいています。ツバメの巣立ちです。それも3羽揃って洪水も知らず旅立ちです。夕方には、そろって巣の中でした。朝にでかけ夜には巣に、こうした状況を一週間ぐらいつづけやがて姿をけします。今年は全部で8羽の巣立ちでした。2回目では1羽、どびんごの時、落下防止の網に落ちていましたが巣に帰し、心配しましたが巣立った様です。今年もカラス避けの網、落下防止網の効果で無事な巣立ちでした。
ツバメの巣の周辺環境模様
小田川支流、背谷川陸閘部。未だ越水時のゴミが欄干にかかっています。
仁比参議員、もう何度目の來岡でしょう。今日は倉敷市、総社市、笠岡市を視察・調査されています。倉敷では高梁川の歴史的変遷、改修状況など調査されました。私と岡田信之元県議が対応しました。説明のあと高梁川と小田川の合流点や真備地内の当時の陸閘の運用ついて視察、市民の方の意見や声が寄せられました。
7月7日日お昼ごろの高梁川の水位、向こうは4車線化工事進む2号線高梁川大橋。
7日の高梁川、向こうは山陽線の鉄橋です。
これは9日の小田川破堤近くの川の中のものです。ガスボンベがたくさん流されひかかっています。
高梁市や矢掛のガス業者の敷地から1400本のガスボンベが流れたそうです。まだ未回収もかなりあるようです。経済産業省は埋もれたものもあり爆発の可能性も指摘しています。注意が必要です。
洪水後の高梁川
高梁川とその支流小田川の合流点の問題点、高梁川本川の増水でバックウオーターで小田川治水が懸念されたのは、いま始まったことでなく明治26年の大洪水を受けて明治40年度から大正13年度の間、18年の歳月を費やして完成した高梁川大改修当時からです。地域の懸念に対し高梁川2川から1川にしたこの形状から大きく迂曲部の矯正や合流点では1600mの背割堤(導流堤)を築堤し問題点に備えたとしています。しかし、その懸念の解消にはほど遠いものでした。また、大改修の経過からは、小田川沿川の各村や船穂村は高梁川西派川の一部を締切り農業用水に利用しようとした柳井原貯水池建設・現形状に治水上多大な不利益を受けると反対しているのです。 これに対して、工事を進めた当時の内務省は「今日より悪化することはない」と答えたとあります。
この合流部には歴史的・構造的な問題点を抱え、その後洪水を繰り返してきた歴史的事実を直視すれば両川の維持管理は適切であったと言えるのでしょうか。
午前10時半ごろ、服部、たけのこ橋を通って真備町に入りました。昨日のような渋滞なく車の流れはスムーズでした。上の写真は内山谷川近くのもう一つの小田川決壊場所です。仮復旧が進んでいます。地元の方の話では小田川の支流、背谷川が小田川合流点近くで越水に気が付いたのは6日の午後10時過ぎと述べています。
知人と連絡が取れないので訪問しました。午後、真備町からの車は大渋滞です。街中はこれまでの面影は全くありません。知人宅は完全に破壊され2階まで窓枠はありません。知人は他県の子どもさんのところへということでした。まずは一安心です。
道路にそってゴミとなった家財やがれきが積まれ、36度の猛暑の中、あっちこっちで多くの方が片づけに汗を流しています。一方で、修復不可能と思われる家々が無残な姿をさらしています。家主の胸中を察するに余りあります。
墓はなぎ倒され、木の先近くまでゴミがかかっています。
命からがら脱出へ・・・ニュースステイションから
真備町大洪水一週間になります。死者50人、その中で「最期は愛犬とともに」の記事が載っています。「最期に一人じゃなかった。それがたった一つの救いです」家族の悲痛な声です。どんなに苦しかったでしょう。私がこの方にお会いしたのは、もう何十年もの前の真備町議戦、一度のことでした。心から冥福を祈ります。
私は先週の土曜日(7日)午前5時半頃、真備町に入る二万橋の入口で警察に「入れません」と交通規制を受けました。小田川の右岸から真備町方向を見る以外、何もできませんでした。この段階で小田川が決壊しているとは知る由もありませんでした。
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