この写真は、「火葬場の少年」米従軍カメラマン、ジョー・オダネルの写真展の紹介するしんぶん赤旗の記事です。
この写真は、以前にもこのブログに掲載しました。以下赤旗の記事です。
1945年9月、アメリカ人従軍カメラマン、オダネルは佐世保に上陸、オダネルの心をつかんで離さなかった1枚の写真、それがこの写真です。幼い少年が、まだ赤ん坊の弟を背負って、じっと前を見つめる。なんの変哲もない写真だが実は弟は、すでに死んでいて、少年は弟を火葬にする順番を待っているのです。作業をしていたおとなが、少年から幼児をおろし、炎の中にいれた。その様子を、じっと前を向いて直立不動のまま、唇をかみしめ、耐えていた。唇には血がにじんでいたー。
少年は何を思って、弟を背負っていたのか。どんな気持ちで弟が焼かれている光景を見つめていたのだろうか。
オダネルは、この少年のことが、ずっと気がかりだったという。オダネルは、この少年に会いたいと願い日本各地を訪ねたがかなわなかったとあります。
彼は後に次ぎのように語ったとあります。「あの時、少年の肩を抱き、声をかけたかったが、できなかった」と。
この少年が生存していれば、70歳ぐらいでしょうか。
彼の弟には何の罪も無かった。
帝国主義戦争と日本帝国主義の暴走の犠牲であった。
彼は被爆したのであろうか。孤児であったのだろうか。
『直立不動の少年』+米従軍カメラマン、ジョー・オダネルのコメント どさんこ
http://www.asyura2.com/0510/idletalk16/msg/890.html
投稿情報: 名無し | 2011/09/04 21:04
「オダネル」という名前をどこかで。と記憶をたどると。7月17日毎日新聞「時代の風・彼岸から語りかける理性」で加藤陽子氏が紹介していた。「この写真は、現在、『トランクの中の日本』(小学館)などで見ることができる。」と。
ヒューマニズムなど何の力も持たないとシニカルが支配する時代ですが。少年の心にオダネル氏の心が共鳴したのは、ヒューマニズムの働きによる以外に無いだろう。そしてその、共鳴が60数年、加藤氏を含めてヒトビトの間に共鳴しつづけている。(写真はただの化学反応の軌跡に過ぎないのであるけれども)
投稿情報: 野良通信 | 2011/09/05 01:35