今日、市内から帰り道は、久し振りに浅原峠を通りました。この道路の改良が進んでいます。
この道を通るのが私は気に入っています。峠付近の桜の葉はひとあし早く紅葉しています。峠から見る総社の街は、田んぼで黄金に輝いています。峠という言葉がいいですね。峠の向こうには新しい街があり、峠の向こうには未知の世界があり、夢がある、そんな響きが峠の言葉にあるように思います。福山の古戦場、中世の幸山城跡、古墳の群、峠を下ると裾野の村道には彼岸花が真っ赤に咲き乱れています。空気は、実にさわやかです。
浅原峠の周辺は、そんな光景です。
田儀公夫9月議会ニュースができ、配布が始まります。
右は道、左は小さな清流が下ってゆきます。
徒歩で越えた昔、峠は「道祖神」が護る境界だったようですね。
「《「たむ(手向)け」の音変化。頂上で通行者が道祖神に手向けをしたことからいう》」
峠 とは - コトバンク
http://kotobank.jp/word/%E5%B3%A0
「外来の悪霊をさえぎる神。」
道祖神 とは - コトバンク
http://kotobank.jp/word/%E9%81%93%E7%A5%96%E7%A5%9E
「浅原峠(倉敷・総社市境)」
「倉敷市浅原地区に狭隘箇所や案内の十分でない箇所が存在する。」
岡山県道469号倉敷総社線 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/岡山県道469号倉敷総社線
投稿情報: 名無し | 2011/10/02 22:42
また、誘われて書きます。
とかく彼岸花って、群生しているでしょう? その理由が解き明かされている、とでもいうべき本です。
ほんの薄っぺらいブックレットですが、どうしてどうして、大変嬉しい本なのです。
単に、彼岸花という植物がどうこう、というだけでなく、それがそこにある訳、が解明されている。長い間の人間とのかかわりが髣髴されるのです。
一言でいえば、かつて大陸から導入された時代は、農業も未発達で、いわば飢餓を救うものとして活用されたが、稲作が発達してからは不要となり放置されるようになった。この根拠は、現在、群生が見られる多くは、大方、前期・初期・中期・後期・晩期など時代に沿って変遷する縄文期の集落遺跡と重なる。
彼岸花が、深山には決してなく、それでも、全くの町中ではない山里・人里に在るのは、このような経緯と関係する。
なお名前もいろいろ呼ばれるように、どこか怪しげな、ふっと暗い影を思わせるのは、この球根に毒があり、かつては、たくさん食べると致死に至ったこととも関係と。でも、その毒のために、畦などに植えておくと、ネズミ避けになり、土手が穴だらけにならずにすむ、という効用も、と。
明治になって導入された水仙は、同じく球根に毒があるのに、もう、救貧植物ではなく、ただ、花を愛でられるだけなので、「悪い」うわさも立てられず、同じ毒もちの植物でも、歴史的条件の違いの「運・不運」があるものだ、と。
彼岸花の大規模な群生は、そのように川の上流にある、のは、縄文時代は暖かく、海面が高かったので、海岸線が河に沿ってずっと奥まで入り込み、そこに人々が住んだのだ、と。
ちょっと感激的な本でしょう?
『ヒガンバナの履歴書』有薗正一郎、愛知大学綜合郷土研究所ブックレット②、あるむ。
投稿情報: 白井浩子 | 2011/10/03 12:11
話が次々発展して楽しいですね。ありがとうございます。
はじめてのことがたくさんあります。
早速、本を注文しました。
投稿情報: 田儀 公夫 | 2011/10/03 17:28