阿藤 秀一郎の「秋田おばこ」です。
この度、10月5日(土)~11月2(土)の日程で阿藤 秀一郎作品展が阿藤 伯海記念公園 母屋にて開催されます。主催は浅口市教育委員会です。
秀一郎は、伯海とは6つ上の従兄です。秀一郎は明治21年(1888年) 現在の浅口市鴨方町六条院東に生まれ、明治41年(1908年)京都の関西美術院へ入学し、洋画を研鑽。明治45年(1912年)東京の川端画学校に入学。大正2年(1913年)藤島 武二に学び、坂田 一夫に絵を教える。大正12年(1923年)フランスに留学。
兼重武一のよれば、大正11年、岡山洋画研究会で児島 虎次郎や阿藤 秀一郎から洋画の指導を得たとあります。虎次郎や秀一郎の画友が岡山洋画研究会で活躍しています。
パリ外遊後は、台湾、北海道を廻り、終戦後現在の倉敷市児島下津井に居をなし、地元で創作、また、青森、秋田など東北地方を逗留、昭和47年(1972年) 8月28日 下津井で逝去とあります。
昭和48年(1973年)、阿藤 秀一郎遺作展では、友人である日展参与 佐竹 徳が「君は誠にやさしく、無口な人、経済面では無頓着、世俗のことはこだわらず展覧会にもほとんど出品したこともなく、自由奔放に独自の画境に精進した」とあり、秀一郎画伯は、まさに孤高の人であります。
「秋田おばこ」は、今回の作品展にも出品予定であり、この絵は、モナリザを想起させるものです。
日本版「モナリザ」のように思えるのです。
阿藤秀一郎の作品研究家は、この絵の価値は「2億円」と豪語してはばかりません。
なるほど、「秋田おばこ」の背景には、稲穂が黄金に熟れる「あきたこまち」が広がり、豊かな日本の農村原風景を想起させるものです。
どうぞ、阿藤 秀一郎作品展にお出かけいただき、秀一郎の世界を堪能下さい。
また、秀一郎の作品には、鷲羽山より望む瀬戸内の風景が描かれ、国立公園指定80周年を迎えるにあたり 、ありし日の秀一郎の好んだ瀬戸内風景は、あらためて見直されるものです。
倉敷市議会議長室には、鷲羽山から望む瀬戸内海の風景画が飾られています。
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