薫風に揺れる麦の穂
先日のハートランド倉敷 真備・船穂Dayで作家の横溝正史が生んだ名探偵・金田一耕助が登場したとあります。そこで横溝正史に触れます。
この点では、はるかぜ日記2009年5月に書いたものの再録です。
横溝正史のおじいさんのお墓は船穂町柳井原大谷地区にあります。正史の父は明治29年に柳井原から神戸に移っています。
横溝正史は「自作を語る」の中で金田一耕助を生み出した秘話を語っています。正史は真備町に疎開する前は東京の吉祥寺に住んでおり、その隣組に金田一京助の弟がいたので金田一先生のお名前を拝借したと述べています。
また、金田一耕助のモデルは菊田一夫とあり、「菊田君は小柄でしょう、あれは貧相でしょう。若いときはやせていてからもっと貧相だったと「貧相」を繰り返しています。
しかし、聡明そうな目をしていたので惹かれたのねと述べています。
1998年、船穂町が発行した柳井原史のあとがきに、昭和45年、新幹線の起業地に正史先生の所有地があったので了解を求めて東京成城のお宅にお伺いしたとき、戦中戦後の一時期真備町岡田に疎開、その時代、リュックを背負って柳井原の親戚をたびたび訪ねたことを懐かしそうに語ったとあります。
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